命をいただくということ。

先日、初めて参加した。

「ニワトリの解体ワークショップ」

その名の通りニワトリさんを解体して、

食肉にするという事を体験することだ。

以前は、それぞれの家でされていたこと。

僕らが日々頂いている肉や魚は、

解体される瞬間まで僕らと同じように呼吸をし、

心臓を動かし必死に生きていた生き物だ。

当たり前だけど。

僕らは普段、スーパーや肉屋さんでパック詰め、既に加工されたものを見て購入することがほとんどだ。

ニワトリだけはない。

牛も豚も、魚も、果物も野菜も。

命をいただく・・・。

頸動脈を切って。

頭を逆さに吊るし血を抜き。

毛をむしり、内臓、骨、皮、肉と解体していく。

そして、それらを集めてパック詰めされた状態。

加工されて、スーパーやレストランですぐに食べれられる状態で目にする。

それらが、僕らの血となり、肉となっている。

僕らはそんなことすら、当たり前に感じているかもしれない。

スーパーに行けば当たり前にお肉を買うことができ、食べられる。

ひとつ、ひとつの命を頂いているのだということに感謝していけると、

きっといろんな事に気づくことがあるかもしれない。

命のこと、食事のこと、食品ロスのこと、貧困・・・・。

僕は去年初めて、魚を捌いた。

もう死んでいて動いていないのだけど。

内臓を取り出し、骨を折り、頭を落とす。

肉の柔らかさや、脂身の感じ。

魚の種類によっても違う。

ぼくはそんなことすら、わかっていなかったのだと、思った。

ワークの中で、

生産者の本間さんが言われていた。

「 私たちがヒヨコの頃から大切に育ててきた、大切なニワトリさんです。」

「 血が出たり、毛をむしったりする時に、キモいとか、汚いとか言わないであげてほしい」

と、言われていたのが印象に残っている。

このワークにはたくさんの子どもたちも参加していた。

おそらく過去にそんな言葉を発した人がいたのだろう。

本間さんはじめ、生産者が一生懸命育てた、自分のこどもの様な存在だ。

でも、きっとそんな

「生産者の思いや」

「命を頂いている」

と、言うことを感じることができれば、その様なことを思うことがないだろう。

ただ、知らなかっただけだ。

でも、知って、感じて、考えておく必要があることだと思う。

学校も休校、これから春休みになるのなら、こどもと一緒にそんなことを考えるのもいいかもしれない。